作品集へ  トップへ

我は蜀にあり!〜成都旅行記〜

ここから! 8月29日  8月30日  8月31日 NEW! 9月1日  9月2日   成都旅行写真集1へ 写真集2へ 写真集3へ

8月29日(木)  一路、成都へ!

13時34分、中国西南航空の成都行きは、無事に関西国際空港を飛び立ちました。
中国西南航空は、今年の7月18日に関空との定期直行便が出来たばかりです。
成田とは4月に直行便が出来たそうで、それまで乗継便しかなかったのと比べ、ツアーも組みやすく、日本から行きやすくなりました。
今朝は、家を出る時ににわかどしゃ降りに見舞われたり、JTBのカウンターでお姉さんに間違った場所案内をされたり、予定時刻をすぎても登場手続きが始まらなかったりしましたが、とりあえず予定を30分も遅れることなく、無事に離陸いたしました。

機内から下を見下ろすと、どうやら淡路島らしい島が見え、とても綺麗です。
そのうち飛行機は雲の上に出て、下界の景色は見えなくなってしまいました。
安定飛行に入った14時すぎ、ようやく待望の昼食(機内食)が登場!
容器はプラスチック製で安っぽいが、中身はごく普通、日本製の機内食でした。
お魚は、さわらのトマトソース煮で、パスタと人参・エンドウが付いて美味しかったです。
お昼を食べたら満足して眠気が襲い、昼寝することに。窓際で、3人座席を独占状態なのでひろびろ〜の余裕でした。
考えてみれば、今回のツアーは一人申し込みだったのですが、同じツアーのメンバーがどこかにいるはず。どこにいるのかな?通路はさんだ対岸の座席のカップルかな??

機内には、中国語と日本語があっちこっち飛び交っています。
この便のお客は、日本人と中国人が半々ぐらいのようでしたが、言葉を聞かない限りどちらかわかりません。乗務員さんも、何語で話しかけるか、じっと顔を見てためらっていました。
例えば、私の前に座っていた老夫婦は、早口の中国語(普通話)で会話しているから中国人だと思うのですが、顔立ちも、服装も、物腰もどうも中国人には見えません。どちらかというと、日本人・・・というより、アメリカ人の物腰に近い感じでした。
四川の人の顔立ちは、漢民族以外の血も多いのかな。あまり漢民族の典型みたいな顔が少ないのかも知れません。

現地時間16時35分、成都双流空港に到着。途中で1時間時差を戻しているので、実質4時間の飛行でした。
タラップを降りるともわっと熱気が包み込む。西安とは違い、湿度を感じるのが不思議な感じです。
空港で入国手続きをして、出口で、現地ガイドさんのお出迎えを受けました。
ガイドさんは劉さんという方で、京都に3年間いらしたことがあるそうです。そして、やはり、機内で対岸にいた若いカップルがツアーの同行者でした。
その二人は、女性は東京、男性が大阪の方だそうで、二人とも中国は初めて。女性の方がパンダが大好きで、3日間パンダ尽くしにする予定なのだとか・・・それも面白そうです。
私とその二人の計3人を乗せたトヨタのライトバンは、夕食のレストランへ直行。
夕食は、典型的な油たっぷりの中華料理です。鶏肉の冷製、細かい野菜の付け合わせ、ザーサイ、豚肉と野菜の炒め物、川魚のスープ仕立て、空心菜の炒め物、トマトと卵のスープ、担々麺、白ご飯、油餅(ゆーぴん)、デザートの西瓜。しかし、どれも量が多い〜。
ネギ入りの油餅(ゆーぴん)が出たのですが、見た目は韓国のチヂミ、それが食べてみるとクロワッサンの味〜〜(笑)ちょっと聞くと信じられないかもしれません。
中国ではパンはどこでも美味しく、小麦の伝統的な食べ方として近いものがあるからなのだと思っているのですが、この油餅も、本来がクロワッサンと近いもの。見かけは全然違いますが、中身はすかすかで皮を味わって食べるものなのです。ほんのりバター風味が香るデニッシュ様の皮は、香ばしくて美味しかったです。

成都は、人口1000万人。うち純粋な市内人工のみで320万人ぐらい、空港は、中国西部最大で、中国で4番目に大きいそうです。
一番驚いたのが、町の彩りが美しいことと、車が綺麗なこと。
中国といえば、少し砂ぼこりかかった町並みと車という印象があったのですが、それは今まで行ったのが黄河流域だったからなのかもしれません。
湿度が高い成都では、町はほこりっぽくないし、ぴかぴかの新車、華やかな色合いのタクシーが列をなしています。自転車も多いけど、町に緑が多く、街路樹に竹があったり、ハイビスカスがあったりで色の鮮やかさが目立ちます。
パジェロとかいっぱい走ってるし、夕食のレストランにはベンツが2台も来てました。
劉さんに聞いてみたら、今、成都は中国全土でもっとも自家用車の保持率が高いのだそうです。中国製の新車は、軽自動車なら今や2万元(=35万ぐらい)で買えるのだとか。
そして、国内でもっとも農産物生産量が高く他の省に輸出し、天然ガス資源も一番多いのだと。で、特に食物の値段が安い。
つまり、天府の国・成都は大変豊かな都市なのです。

夕食のレストランから直接ホテルへ。
ホテルは、現在成都に3つある5つ星ホテルのひとつ、ホリデイインです。
成都一番の繁華街のど真ん中にある、最高級ホテルです。ホテルの中で日本円を両替し、中の土産屋で、四川のガイドブックと成都市内の地図を買いました。
3Fにビジネスセンターがあるのでインターネットを試してみたのですが、日本語フォントがなく、日本語のサイトへ行っても文字化けして何も読めなかったので以後は諦めました。ちなみに、9分間の接続で15元(=約300円)でした。
実は部屋には、電話線以外に「DATA PORT」というネット専用回線がちゃんとある(さすがは五つ星!)のですが、12本線の太いケーブルで私のPCの接続口には入りませんでした。(ADSLです)電話線の方を引っこ抜いて繋いでみたけど、私のバイオ君、「内蔵モデム認識しない病」にかかっていまして、結局接続できませんでした。

というわけで、初日はお風呂に入り、この日記を書いて終わり。
おやすみなさい〜明日はがんばるぞ〜〜。

8月30日(金) 成都はパンダ!

2日目は、朝7時に起床。朝食はホテルのレストランでのバイキングでした。
いろいろ選ぶのは楽しいけど食べ過ぎることが多いですね。ミルクと並べておいてある豆乳が美味しかったです。
集合は、ホテルのロビーで8時半。劉さんと運転手さんが来てくれたので、成都市郊外にあるパンダ繁殖センターへ出発。今日の成都は蒸し暑く、31℃〜22℃ということで、ほぼ日本(関西地方)と同じぐらいの気候です。
ホテルを出たものの、あいにくのラッシュ時間とあって渋滞が酷く、車はなかなか進みません。成都市内には、まだ地下鉄がなく、人口1千万の都市で、地下鉄がないのは…とガイドさんがこぼしていました。ちょうど現在建設中で、2008年に完成予定だそうです。
公共交通機関の主力がバスなので、バス(市内はどこでも1元)はどれも満員です。道路で人だかりのしているところはまずバス亭です。
市の中心部から郊外へ出ると、もうもうと舞う砂埃〜〜。どうもこれは周辺と道路の舗装・整備具合によるようですね…。町の中心部で砂埃が少ないのは、当たり前だったのでした。

やがて車が大通りから右に折れ、「熊猫大道」へ入ったとたん、車はスイスイと走り出しました。これは名前の通り、パンダ繁殖センターへ向かう道路で、両脇に柳が植えられて大変綺麗です。
繁殖センターは、市の郊外ながらあまりバスの便がないので、市民にはあまり知られておらず、来るのは外国人観光客が多いそうです。
市民があまり来ないのは、中に茶館がないせいではないかとのこと。成都市民の娯楽といえば、公園で茶館に入って10元程度払って、麻雀したりで1日ゆったりすごすのが、定年後の市民や土日の休日の過ごし方なのだそうです。

さてさてこのパンダ繁殖センター、広い公園になっており、竹の植え込みに囲まれた道を進むのですが、冷んやりと涼しい。政府からお金が出されているとあって、植え込みの手入れもされ、気持ちのいい場所です。
今、野生のパンダは、中国の四川省と雲南省で1000頭程度しかいないそうです。
数が減っている原因はいくつかありますが、まず密漁。これは、毛皮を目的としたもので、香港や日本、台湾等のブラックマーケットで、一頭一千万円程度で闇取引されているそうです。パンダの毛皮の敷物は、福運や予言能力が授かると信じられているそうで…。
また、開発にともなって生息地が狭くなったことによる近親交配の障害、60年に1回の竹の枯れる時期の食料不足による激減、さらにパンダの雄の発情期は1年に1度しかないこと、などの理由で、数が減り、種の存続が心配されています。

また企業が寄付金を出し、パンダの養い親となってそのパンダをマスコットシンボルにすることも流行っているそうです。「チャーズ(橋子、かな?)」というパンダマークの煙草がありますが、これも実在のパンダの名前なのだそうです。
そんな話を聞きながら、広い公園をえんえんと歩き、パンダの病院(気になる…)や、研究センターの建物、食料の笹を洗っている人等を通り過ぎ、ようやくパンダの飼育場所へ到着。
動物園でよくあるように、パンダのいる地域を溝で囲ってあるのですが、すごく広い!ぐるっと回ってもなかなか見つかりません。ほぼ一周回ってようやく発見しました。
白黒の生き物が、ぐだ〜〜っとお腹出して寝ころがって…が、お腹しか見えない(笑)
よく見るとその向こうに、2匹の子パンダが遊んでいる!おお、子パンダだ〜〜。
近づこうとすると、子パンダ達は飼育建物の内部に駆け込む。しばらくすると、また出てきて真ん中に走り出す!周囲の見物客も釣られて走る!
やっと近くに見られるところに行ったと思えば、また反対側に駆け出すパンダ!また走る人間達!
パンダの動きに、観光客は振り回されております(笑)

お腹を出して寝ていたパンダなのですが、何やらお姉さんにホースで水を掛けられ、嫌そうに真ん中のトンネルへ避難しました。後を追っかけてきた子パンダ2頭は、木登り遊びに飽きて、大人パンダのトンネルに来て、じゃれ始める。じゃれつきながら、鳴声あげているのは、犬が飼い主に甘えるのと同じ、猫のごろごろと同じですね。この大人パンダは、2匹の母親なのだそうです。
そのうち子パンダの一頭が外に出てきて、溝の方に降りてきます。近くで見ている私と目が合いました。溝の底まで降りた子パンダは、四つん這いのままじっとしている。よく見ると、下に水が…小用だったのね。さっきの視線は、「あんまり見ないで」だったのね…ごめんなさいね。

今日はパンダと写真が撮るのが禁止のようなので、次は飼育棟の方へ向かいました。
壁のガラス越しに小さな保育器が3つ、そこにカモノハシのような赤い生き物がタオルを掛けられ寝転がっています。え?これがパンダの赤ん坊??
そう、人工保育器に眠っていたのは、生まれたばかりの赤ん坊3頭でした。大きさは約20センチ。ラットぐらいで、毛がないふにゃふにゃの姿をしています。
一頭は8月22日、つまり8日前に産まれた雄で「冰冰」という名前のパンダの子供だとか。目の回りがうっすらと黒く、ごまつぶみたいな耳が付いています。もちろん目は見えない。じっと見ていると、突然手を突っ張って半身を起こし、口開けて何か言ってる〜〜。う〜ん、これがでかい熊になるのか?
その隣にいたのは23日産まれの赤ん坊で、一番端にいたのが28日産まれ、つまり2日前に産まれたばかりの赤ん坊でした。タオルかけてもらってて、足しか出てないのですね〜〜。
この3匹は、母親が育てないため、人工保育器で完全看護状態に置かれているようです。
パンダは双子で生まれることが多いのですが、母親が1匹しか育てないことが多く、1匹は保育室で育て、時々子供を交換(すり替え)したりするそうです。
保育器の部屋は、基本的に準・無菌室の扱いらしく、緑衣にマスクの担当者が張り付いていました。2時間ごとに温度を測ること、等のメモが部屋の隅のホワイトボードに書かれてありました。(やっぱりこういうのは気になります〜)
パンダの発情期は、年に一度なため、出産時期も集中するようです。
もしかして、パンダとの写真撮影が中止になってたのは出産シーズンのためだったのかもしれません。

それから、今度はレッサーパンダの方へ。これが一頭は木の上でしっぽしか見えません。もう少し下ると、エサを食べている一頭を発見しましたが、以外に大きかったです。
奥に行ってしまったので、あんまりゆっくり見られませんでした。
それから公園内をぶらぶら歩いて蓮の池を見たり、白鳥を見たりして出てきました。
公園は、政府の援助を受けて、これから拡大されるのだそうです。

というわけで、お昼に間があるので土産物屋で休憩して、昼食へ。
武候伺近くの南台月大酒樓(楼)へ。麻婆豆腐が出てきたのですが、美味しい〜!!
ご存じのとおり、麻婆豆腐はここ、四川の成都が発祥の地です。本場の麻婆豆腐は、山椒が山のように入っていて、唐辛子の辛さではないのです。豆板醤のコクが効いていて、これがない日本の麻婆豆腐とは、完全に別物だと思いました。
担々麺も、昨夕のはラー油に浸かっているようでしたが、今日のは申し訳程度に肉みそが乗っているだけであまり辛くなかったです。豚の耳も出ましたが、沖縄のミミガーそのものといった感じでした。
この店のテーブルにある灰皿は、パンダの絵が描いてあったのですが、昨夜のレストランで出たお茶容器にもパンダ絵がありました。そして、市内を走る黄色と緑のツートンのカラフルな「成都タクシー」にもボンネットのど真ん中にパンダの絵が…。そういえば、町のど真ん中にもパンダのモニュメントがあったっけ…。パンダはまさに成都のシンボルです。
また、中国では、来月(旧暦の8月15日)が中秋のお祭りだそうで、町には美味しそうな月餅の広告がいっぱいです。この店にも美味しそうな月餅セットが…。ああ、ここが帰り道なら買って帰るのに…。と思いつつ店を後にしました。


武候祠へ〜

昼食後、すぐに武候祠へ到着。
武候とは、いうまでもなく三国志で有名な、諸葛亮(孔明)のことです。
ここの正式名称は「漢昭烈廟」といいます。「昭烈」とは漢の末裔とされている蜀の劉備(玄徳)のことで、つまりここは劉備の廟(墓所)なのです。
主君と部下が同じ場所に祀られているのは大変珍しいことだそうですが、諸葛孔明の方が劉備よりも名声が高いため、一般にはここは「武候祠」と呼ばれているのだそうです。
中に入ると説明版には、中国語、英語に続いて日本語も。やはり日本人の観光客が多いのですね〜。

この武候祠、最初に建てられたのは223年で、その後何回も盛衰を繰り返し、清の康煕帝の時代に改めて建てられたのが、現在の建物のようです。
正面に劉備の木像があり、その途中の道の左右に古来からの石碑があり、外回りの建物には、蜀の忠臣達の木造がずらりと並んでいます。入口から右手が文官、左手が武官という風に…。
入口のある側の壁には、なにやら達筆な石碑がかけられています。
「これは諸葛孔明の『出師の表』です」「おおお〜〜!これが!」
「これは、岳飛という宋の武将が書いたものです」「ええええ〜〜!!!こ、これがそうですか?」
「はい、最後の所に署名があるでしょ?」「うわ〜、ほんとだー。本物なんですか?」
「はい、真筆ですよ」「う〜ん、写真とっちゃお〜♪」
連れの二人は、男性の方は少しばかりは三国志の知識をお持ちで出師の表もご存じでしたが、岳飛のことは知らなかったようです。やはり、日本ではまだまだ無名ですね。
中国では、教科書でこの「出師の表」を習うそうです。
ちなみに、後で売店に行くと、これの拓本が販売されていました。ここでしか売ってないよ!と言われ、とうとう前・後揃った「出師の表」拓本を購入してしまいました。今まで4回の中国行った中でもっとも高価な買い物で、しかも表装が重かったのですが、満足です(^^)ニコ

さて、劉備の木像にご対面。両脇に皇帝の権力を示す道具を持った人物像があります。扁額もかかっていて、さすがに地元、大切に祀られているのがわかります。
劉備の像の右には、劉備の孫の木像があります。父・劉禅が晋に降伏するのをよしとせず、自刎したため、尊敬を集め祀られているのだそうです。本来は、左横には劉禅の木像があったそうですが、破壊されたあと修復されないままだそうで…その話を聞いて、みんな納得してしまうというのが、またなんとも…。
関羽と張飛の木像も別室が作られていて、子供と部下ともどもきちんと祀られています。張飛は本当は男前だったのだが、性格からあのような顔にされているとのことでした。

というわけで、そこを通り過ぎ、直線上にある孔明先生の祠の方へ。一応、主君の劉備の建物より一段低くなっているそうです。
というわけで、ようやくご対面〜〜〜。やはり手には羽根扇を持っています。そして両脇には、子と孫の木像があり、一緒に祀られています。
ここで気になったのは、孔明先生の孫の諸葛誕のこと。息子の諸葛センは、たしか孔明のかなり年いってからの子だったはず。で、蜀の滅亡時に36才で亡くなっています。この時に孫も一緒に戦った…って年は幾つだったのでしょう??まあ、20才で子供が生まれれば16才か…。誰か詳しい方、教えて下さい〜〜。

それから、恵陵(劉備の墓)の前まで行きました。この円墳は、直径60メートルで歴代の皇帝中、もっとも小さいものだとか。未だに一度も発掘されたことはないそうです。
諸葛孔明については、五丈原で亡くなったのは有名ですが、実際に、彼の遺体がどこにあるのかはわからないそうです。
なにせ、死を秘密にして木像を仕立てたぐらいですもんね…。

杜甫草堂と茶芸センター

次の目的地・杜甫草堂は、唐代の詩人で詩聖とも呼ばれる杜甫が、成都で4年間暮らしていた時の住まいの跡を公園にしたものです。
浣花渓と呼ばれる細い川の前にあるのですが、昔はもっと大きな川で、杜甫は舟に乗って通っていたのだそうです。
竹が植えられ手入れされた公園内には茶館があり、市民の憩いの場になっています。
内部にあった杜甫の銅像の一つは、手の長いモダニズム風な銅像で、彼の才能にあやかりたいという人々に撫でられて手が金色に光っていました。もう一つは写実的な杜甫像で、こちらは顎鬚が光っていました。
内部に、当時の家を再現したものや、世界各国で出版された杜甫詩集のコレクションなどがありました。彼がこの成都で過ごしたのは、友人が出世して住まいを与えられた4年間に過ぎませんが、その4年間はもっとも安定した生活で優れた作品を作ったそうです。
彼自身は詩人としてではなく、官吏として世に出たかったそうですが、そういうものなのかなぁ。よくわからないです。

1時間半ほど見学して、夕食までに時間があるので、お土産屋さんへ行くことになりました。行ったのは、「天府明園茶芸交流中心」という所で、ここで4種類のお茶を実演してもらいながら頂くことに。
実演お姉さんは、若干聞き取りにくい日本語で、電磁プレートでお湯を沸かしながら、湯をざぶざぶと茶器に掛けて温めたり、急須に水分を吸わせたり、手馴れた説明をしてくれます。このお茶の入方は、以前に北京でも実演を受けたことがありますが、今日はここ四川のお茶がメインだそうです。
1つ目は、おなじみ「鉄観音」。これは福建省のお茶ですね。
2つ目は「苦甘露」という白い葉のお茶。峨媚山で、雪を受けて出来るとというお茶だそうです。
「苦くて甘い」という名の通り、一口飲むとなんとも苦いのです。飲み終わると、後口がほんのり甘い。お姉さんが空になった器にお湯を注ぎ、「飲んでみて」というので飲むと、これが甘い!次に飲むものが甘く感じられるという不思議なお茶です。「暑気や扁桃腺炎を和らげ、喉を潤し、肺を清めます」だそうです。
3つ目は「仏手」という楽山のお茶です。葉っぱが芋虫のように捻れていて、サインペンほど太く、4pほどあります。味も香りも薄いお茶でした。
4つ目は「藍貴人」という青城山のお茶です。これは、西太后も愛飲していたそうで、黄色い水色で香りの良いお茶です。器を三本指でつまみ、顔の前で左右に振って、香りを楽しんで飲むのだそうです。
たくさん、味わせていただいので、この「藍貴人」の小缶1個を購入しました。もう少し安ければ他のも欲しかったのですが、120グラム入りで150元(=約2250円)と結構なお値段だったので諦めました。

順興老茶館

夕食は、〜という「川劇(せんげき)」を鑑賞できる「順興老茶館というお店でした。
2年前に出来たばかりという超豪華な国際会議場に併設する総合ビルの3Fにあります。
エレベーターから出ると、そこは薄暗い廊下で、天井にはパイプなど地が見える上にネットを張って、樹脂製の植物が本物っぽく絡ませてあります。
通路の脇には、昔の脱穀機が無造作に置かれていて、運転手さん(若くて、学生時代の同級生に似ているのです)が、面白そうに叩いていました。

通路を進むと、道の片側には、ガラスケースが置いてあり、昔の衣服や水タバコの道具、昔の銃などが陳列してあります。どうやら民族博物館のようになっているらしいです。
石臼も置いてあって、子供たちが面白がって触って回していました。
そして、壁の左側は昔の町の風景が彫刻してあるのですが、深さ5センチほどの厚みで、
すごく立体感があり、階段などそのまま上れそうで、見ていると町の中に吸い込まれそうです。
そんな不思議な空間を進むと、通路の突き当たりに水路があって、そこに2匹のアヒルがガァガァ鳴いています。
「本物?電気じかけ?」足の動かし方から見たところ、本物のアヒルのようでした(爆)
その手前には「月見井戸」なるものがあり、覗いて見ると、水面にぼんやり三日月が(笑)・・・。もちろん、電気仕掛けなのですが、みんな大笑いしました。

水路にかかった石造りの橋を渡ると、そこが茶館の入口です。
天井が高く、時代劇で見るような正方形の木机に4人分の椅子が整然と並べられ、わざと昔風に作られた、気持ちいい空間になっています。最新ビルの内部にあるとは思えない「粋」を感じます。
客席はかなり広くなっていて、奥の方に舞台があり、その周囲の席は普通の食事の時にはお客さんは座らせないようになっています。
また壁側には、お茶屋さんや骨董品屋さん、易占い屋、薬酒屋など、怪しげなテナントがいくつか入っています。私達の席のすぐ隣のお茶屋さんでは、店番らしい白いホルターネックのワンピースの小姐が、ず〜〜〜っと隣の骨董屋の青年と、丸いでかい駒のボードゲーム(たぶん将棋)をしていました。
主人がこれだから、お客さんも来ない…(笑)時々、暇な占いおじさんと交代したり(笑)
ちなみに、ここの易占い屋は当たると有名だそうで、ガイドの劉さんも行かれたことがあるそうです。でも、この日はお客がいないらしく、手に持った金属棒をカチンカチン鳴らしながら、客席の間をうろつき回っていました。
ここは、茶館なので、お料理も一人前の小皿の点心がメインです。最初に前菜がいくつか出た中に、塩ゆでの枝豆があったのですが、香辛料で茹でたようで不思議な味でした。
水餃子2個入り椀やら、淡泊なスープやら、豆腐やら、甘い餅や、甘いスープに浸った胡麻団子、数え切れないぐらい沢山の小皿が次々に運ばれてくるのですが、中でも太いはるさめに味噌が乗っていた料理は口がどうにもならないくらい辛かった〜〜。辛いのと甘いのが適度に組み合わされているのがいい感じでした。

川劇の舞台開が始まるのは、夜8時からということで、開演前になると、舞台の近くの席に案内されます。テーブルには蓋付きのお茶カップと、ひまわりの種。座っていると、お茶入れボーイがやってきて、口が50pほどもある長〜〜〜〜い金属製の急須を器用に扱ってお茶を入れてくれます。
わくわくするうちに、舞台には、素敵なチャイナドレスのお姉さんがマイクもってご挨拶を始めました。まずは中国語で、次に流暢な英語で。どっちにしてもよくわからないのですが、始まり始まり〜〜。

最初は、舞台に手作り3方のミニスクリーンと照明セットが持ち込まれ、老人がその中に入って行きます。音楽と共に、浮かび上がるは影絵でした。老人の手の動きが鳥やいろんな動物を真似て、笑わせます。続いては、楽曲の演奏です。古の服装をした人達が、琴や、横笛を演奏します。
その次は、コミカルな出し物。頭がつるつるの道化役みたいな男性が、その妻(?)にやりこめられ、頭に火のついた蝋燭を載せた皿を載せ、椅子や机の下をくぐるというもの。言葉はわからないけど、やりとりと、動きの柔軟さに笑いと拍手喝采。
続いて、人形芝居です。大きな美女の人形を頭上に抱えた人が登場し、踊ったり花を取ったりいろいろ動くもの。とても印象的でした。
次は、さきほど実演でも見せてもらった茶芸。口の長い金属急須を自由自在に操っていろんな動きとポーズで水をこぼさずに注ぐ、というものです。
そして、古の美女の舞。伴奏に編鐘を鳴らしていたのが良かったです。
そして最後の出し物、これがいわゆる「川劇」です。京劇の役者は、顔に独特の隈取りをするのですが、ここの名物は、その隈取りの顔を一瞬で変化させるというもの。「変面」と呼ばれ、これが出来るのは中国で10人もいないそうです。
ドラマッチックな音楽と共に、鳥の顔をした人が舞台に登場し、いきなり火を吹きました。
さらに二人目の男性が登場し、踊りを始めます。舞台の上でくるっと回転すると、顔の面が変わってる!もう1人、女性も出てきて、二人で動きまわりながら、変面が続くと、拍手喝采です〜。う〜〜ん、凄い〜〜。灰色から、黄色へ、また赤へ、と次々に変わっていきます。最後は、また火を吹く人も踊りつつ、変面の二人は素顔を出して挨拶しました。

そして、司会のお姉さんが挨拶して、舞台は終了。
この日のスケジュールはこれで終了です。ホテルに送ってもらい、部屋に入ると9時40分でした。長くて、なかなか密度の濃い1日でした。

成都旅行記2へ